現在制作中
これまでの取り組み
城下町復興「まちなみ演出」
地域の人々から支援をいただき推進している取り組みとして、鹿野の古い町並みに調和する山野草やのれん・屋号の入った瓦での景観演出や・レトロな民具を使ったメダカの住むまちづくりなどを行ってきました。
山野草とのれんによるまちなみ整備
鹿野のまちなみには山野草とのれんがとても似合うという思いで、昔使われていた陶器の醤油瓶を活用し、山野草を植え付け軒下に設置しました。
しかの藍工房の皆さんに作製していただいたのれんを町内100軒の旧城下町一帯の民家、商家等の表玄関に掛けていただいています。
鹿野祭りでは提灯と同様、様々な模様ののれんがかかり観光客の方にも好評です。
屋号の残るまち
鹿野には各家々に屋号がありますが、だんだんと忘れかけている屋号をいつまでも残し、受け継がれていくように、約160軒の家号の入った瓦を焼き、各家庭 に配布し玄関先に設置していただいています。名字とは違うもう一つの呼び名を復活させ、古くから歴史の残る町を表現したい。観光に訪れた方に、散策して楽しいまちなみにしたいと思い行いました。
屋号には職業を意味する「鍛冶屋」「豆腐屋」「塩屋」、出身地を表す「北海道屋」「重高屋」、本家分家を示す「本油屋」「分井筒屋」などがあります。
倉吉市福庭から鹿野町に引っ越ししたことを示す「大福屋」のように、家の歴史をそのまま反映した屋号もあり、町の歴史を秘めた屋号を落ち着いたまちなみづくりに生かしています。
レトロな民具を使ったメダカのすむまちづくり
平成18年からは、各家庭にねむっている民具を再利用しながら、まちづくりに役立て、火鉢、かめなどを玄関先に置きめだかを飼う事業を行いました。
鹿野の城下町を散策される観光客の足を止めて心を和ませ、住民のまちづくりに対する意識をもっと高め、輪を広げるものです。
町民の方々も快く協力していただきました。
特に高齢の方に声をかけるととても喜んでいただき、「楽しみが出来てうれしい。」と言ってくださっています。
世界の蓮花がしかので開く「蓮物語」
遺伝子研究のために世界中から集めた190余種のハスを栽培しておられた 鳥取大学農学部の田辺教授が、同校を退官するのを機に、引き続き育ててくれる団体を探しておられました。
相談を受け話し合いの結果、まちづくり協議会を中心としたグループで受け入れることになりました。
平成20年の春に、大学構内から鹿野まで全てのハスを運び、泥の入れ替えや地下茎の手入れなどをして、鹿野町のハス事業がスタートしました。
現在では各団体が共同で一括管理した蓮田が広がり、また株分け作業をした子株は鹿野町内の一般家庭が「里親」となって大切に育てています。
まちづくり会社「株式会社サラベル鹿野」
まちづくり協議会などが中心となって、平成19年に設立したまちづくり会社です。
社名の由来は、鹿野の方言『かきあつめる、さらえる』を「さらべる」と言うことから『全て集める』などの意を込め名づけました。
鹿野の人にとって特別な場所、城山。
その城山のお堀のそばにある木造建築の古い建物。
この建物は1933年、養蚕農家の経営合理化のために稚蚕共同飼育所として建てられました。
その後、公会堂・城東青年学校・城東実践女学校・鹿野中学校仮校舎・県立青谷高等学校鹿野分校・みどり保育園・鹿野町公民館・鹿野地区公民館・メリヤス工場と、それぞれの時代で鹿野にとって重要な役割を果たし、多くの人たちがこの建物に関わって来ました。
2005年メリヤス工場が閉鎖され閉じられたままになっていましたが、2007年この皆の思い出がたくさん詰まった建物を自分達の力で買取り、保存・活用したいと住民出資で立ち上げたのが『株式会社サラベル鹿野』です。
平成20年1月まちなみ景観を活かした地域づくり「残したい建物があります。」を開催し、建物の行く末を考えました。
その後、地域の方の協力によって手が加えられて、建物の前にあるお堀が上空からみると漢字の「心」という字になっていることから『しかの心』と命名し、カフェとギャラリーとしてオープンしました。
現在はカフェとギャラリーに加え、様々な団体の事務所や作業場としても利用されています。